●山口:神戸市における水害復興と河川沿緑地・街路の形成

■阪神大水害
死者616人。流出した家屋、半壊した家屋など多い。特徴:水が流れてきたのではなくて、六甲山の岩が削られて流されてきた。そのため写真では一階部分が土砂で埋まっている

■今の河川沿い
妙法寺川など河川沿いの空地がインフラや公園の整備に使われている.
大水害以前は家が並んでいたが、どうやってそんな変化が起きたのか?

■問題意識
防火,防災、衛生、保険・慰楽などを統合して考えてしなければいけない。手段として幸福院街路公園道路、緑地。制度化されていない取り組みを見ていく。
・札幌の大通公園
延焼を防ぐ空地を公園化した
・横浜 日本大通り
近代建築が並んでいる
9mの植樹帯がある
これが花開くのが帝都復興のとき。河岸にプロムナードを設け、防災を主目的としながらも、人が逍遥できるような空間をつくった。隅田公園、浜町公園、日比谷公園など、幅員を広くとっている。これが帝都復興の基礎的な形となった。一定の幅員以上の道路には緑地をつくることを規定した。
➝防災だけでなく美観に感銘を受け、推奨されていった

過去そのような考え方があったのになぜ今はそうなってないのか。そこから今の理念を考え直したい

■パークシステムの移入
・ワシントン
・ボストン
・カンザスシティ
都市計画制度が始まる前に造園家のひとが絵を書いて動かしていった。シビックアート運動が始まり、パークシステムと一緒に広まって行った。建築的にパークシステムの公園系統の考え方が日本に導入されるように。コンプリヘンシブプランニング。

自由空地をいかに都市に保存しそれをつなげ市民の健康、慰楽のために役立てるか。都市に散らばっている空地をつなぎ、それが系統だって一つの公園にする
➝公園のネットワーク化
(財源、政治の問題でなかなかうまくいかなかった.東京の行楽道路など)

・函館
防火緑地帯ができ、植樹帯と遊歩道ができた。区画を使って防火する考え方がうまれ、静岡に継承された

・防火と景観を総合的に考える方法は室戸台風後の復興にも用いられた。防潮堤の機能だけでなく鑑賞用の樹種を植え、散歩道をつくった

・名古屋
戦災復興の前に公園緑地系統をつくりたいというのがあって戦災復興により実現した.他の都市でも同様で、戦災復興で浮上してくるということ

近代都市計画史研究の意義
・50-100年単位の都市施策の検証➝地方の独自性を見つけ計画に生かしていく
・現代の景観の形成メカニズムを明らかにする
・計画理念の継承、いかにして断絶をなくすか,連続性を持たせる

復興計画史研究の意義
-非常時の都市計画のあり方。平常時とどう違うのか、意思決定のしかた、リーダーシップのありかたなど

■神戸
神戸大水害。小さな川に山津波が起こって近くの家が壊された。戦災復興で公園決定がなされた。70mくらいの幅員の道路が川の両岸につくることが計画された
➝実際につくるといろんなとこに公園がバラバラできるが、この時は川沿いに集中してできている.川の間に学校や博物館などが強い意志をもって計画された。

・阪神淡路大震災
何を参考にして復興したか➝戦災復興を参考に考えていた
それにより防災帯として河川緑地軸ができた
拠点: 河川沿いにある大きな緑地.発災直後はテントがはられている

-研究の目的-
・この緑地がどのような理念でつくられたか?
いつだれによって立案され、継承されたのか?

・個々の技術者に着目した都市像の独自性を解明
戦前の地方発都市計画の研究の一事例として

・対象地
神戸市の河川緑地
塚野の記事
緑地についての思いが書かれている
神戸は空地がない
➝川を暗渠化して空地に.芝生、緑地などが植え込まれた。しかしこの公園はめちゃめちゃにされ、暗渠化が問題視された

水害以前の街路計画
川沿いに道がなかった.そのような理念はなかった。神戸で優先されたのが東西方向の道で南北は不足していた

復興計画の策定
主体
・兵庫県水害復興専門委員会
・神戸市復興委員

3つの計画案
神戸市復興計画参考案
専門部門が呼ばれ計画大綱を発表しておりそれがたたき台となっている
その最初の段階で南北道路が議論されいる

実行可能な案を求められ、その中で議論しなければいけなかったが、それに対して反対意見がだされ、河川沿いの緑地も扱われた。Aのときから水防沿いの道は結局5-6mになり、公園も数が減った。一方でB)神戸市復興委員会答申案で希望事項として緑地を設けたいことをいれることができた

実際の議論
古宇田實;古建築の権威として知られる
河川断面について一台の自動車が通れるくらいでいいとしたのに対し古宇田は復旧でしかないとした。また両側に50-100mの遊歩園を設け、複数の遊歩園によって災害に備える、一度家が建ちだすと不可能になるのでいまがチャンスだと訴えた
➝結局当時は実現しなかった.
災害復興の中でも美観、デザインについての議論がなされていた

古宇田實の都市論の源流
大きなアベニューで連絡し、都市を芸術的に扱うことで価値がでてくる。諸外国の公園を連結することを参考にすることを訴えていた
➝前々から繰り返し述べられていたことであった

水害後の都市計画決定
河川沿いの道路は河川とセットで考えられた

古宇田の戦災復興への関わり方
原口が10の部会をつくりそこの一つに古宇田が部会長に任命された

神戸市の態度
兵庫県は50m程度しか認められないと回答したが、復興院は神戸市案を採択した
戦災復興

河川緑地の期限
・水害復興当時は空地構想は削除された
・その後戦災復興においてとりいれられた
・古宇田は関東大震災から都市防災を論じているがその源には都市美があった

おわりに
・都市緑化の未来:新たな都市像と総合化の方法
-大きな物語の限界と可能性 土地区画整理の限界

-公有地と私有地の活用
空地をどう使うのか、都市像に基づいた戦略
色々な空地を統合する戦略が必要である(防災、景観、生体環境、省エネ)

■質疑

復興計画史の研究意義。陸前高田でのスタジオでスピードが重要だと思っている。衰退、人口減少がどんどん進んでいく。大きな決定ができずにそうなってしまっていた。神戸市の場合は準備があったから決定ができたのか?

➝水害の後に市民の陳情がある。市民の意見がどれほど反映されたかはわかないが高い専門性に基づいた計画をつくっていた。細かい場所にいる市民の意見がどうだったというのはなかった。内務省が強くて、できる川、できない川があった。大きめに計画をつくって後から、削るという形で行っていた。

阪神大水害のときには認められなくて、戦災があったときは認められたのは市長がボトルネックだったのか、あるいは意識の変化みたいなのがあったのか?

➝一つは市長の影響はあると思う。もう一つは土地区画整理の合意形成を終えていた。それは水害の記憶で100mくらいなら安心だというのがあったので合意形成できていた。裏を採るには新聞やヒアリングが可能だと思う。

区画整理事業の歴史をたどったときにどのような手法論があって、どう動いたのかをやる研究であれば手法論についてどんなもくろみがあるのか?

➝後半でやるつもりだが、実際にヒアリングとかでやりたいと思う。阪神大震災の後に区画整理が実現したというケースもあり、色々な手法があるのかもしれない

静岡市の清水さんが復興の話をしていただいた。一番の事前復興は災害が起こったときのことを常に考えておくことということでした。今回は古宇田さんみたいな、水害がなくても他の都市においても同じようにプランニングしていた人の計画が実現した例があると面白いと思う。

➝絵をかくというところで古宇田が貢献した。他の段階でそれぞれの人間がどう活動したかというのを追っていきたいと思う。

水害復興以前は河川の両岸に家がたっている状態で水害があるのにそこにしか住めなかった。自然堤防を守ろうという動きはあった。一方で市街化進みバラックが建った。

➝街路の標準設計という考え方でどこの地域で見ても川の断面図を見たときに共有しやすかったのではないか。

昔に創られたものだとぶつ切りになっていてあまり使われていないという場所もありデザインの問題がある。

➝実際に周りの地域とどう関わりがあるかというのを考えると最近つくれたものの方がいいのかもしれない。昔のやつだとエッジになってしまっている。

➝完全にエッジになっており、市民を入れるという機能がない。
そこを個人的には考え直したい

戦災復興から大震災の復興のときに結局は亡霊となってそのときのニーズに合わなくなって出てきたのでは。大きな物語にこだわっているといけない。実現したいという思いだけの計画だと賞味期限がある。

➝どこまで大きな物語を含むのかという話がある。必ずしも空地をつくればいいということではなく、人が来て遊んでくれるようなことがあった。そのディテールとどう継承するか、計画を継承するかだと思う。モデルとしてではなく検証材料として連続、不連続などを今後議論したい。

神戸の再復興の速さは水害での構想が契機となった。水害ででてきた意見を表面化させて、次の復興に役立たせるという二段階のプロセスがあると思う。事前復興について何か考え方があればお聞かせください。

➝事前復興の場合だと被害の規模が読めない。災害がきたらそれを想定してできる。事前の場合だと時間がかかっても様々なシナリオを想定している必要がある。ただその幅を どう持たせるかが重要だと思う。

●中村:ヴァナキュラー建築史の方法論 ウィスコンシン大学におけるフィールドスクールを例にして

■はじめに
・ミルウォーキーの建築学科のプログラム
・建築,ランドスケープ,アーバンデザイナーがいる横断的なプログラム

■ヴァナキュラー建築とは
・風土的,土地の.伝統的な建築史(様式)に対する別のアプローチの仕方.

■対象敷地
・ミシガン湖のほとり.千葉市と同じ人口サイズ.白人が65%を占める.
・工業都市.人材・企業が流出中.
○ヒストリックウォータータワーネイバーフッド
・斜めのストリートパターン
・national register historic placesに登録
・1890年代ごろから住宅地として発達.
・湖沿いは高級住宅地

■BLCフィールドスクール
・11名.建築,考古学,公共史,美術史,芸術史など様々.
・ミルウォーキーの歴史に興味がある人が参加.
・最初の1週間で実施計測,続いてオーラルヒストリー,アーカイブ調査,環境音収録,ウェブサイトなどまとめを1週間ずつ.
○実施計測
・HABS
・実地で計ってスケッチを描いてCAD化する.
・考古学的なアプローチ:さわりながら測ると細かいことが分かる.(部屋ごとのハイエラルキー,以前の間取りの発見など)物質文化から生活の変遷を見て取る.
・平面図解釈の例:以前は主人と従者の居住が家の中で分かれていた.今はテナントとなっている.小さな店舗が周りの部屋を取り込みながら拡大.
・通常の建築史ではMediterranean Revivalに分類されるが,ヴァナキュラー建築史ではスタイルでは分類しないで人間の生活と結びつける.分類そのものは重要ではない.変化をとらえる.
○オーラルヒストリー
・データベース化:ライブラリーをカタログ化
Inter flipperで音声ファイルにマーカーをつけて検索可能にする.→コーディングができ,分析が容易に.
・マルチメディアプレゼンテーション:音のまま,映像のままのプレゼンテーション.
・資料として,語りからレイアウトを抽出.ストーリーごとにアップロードしてある.
・例:同じ店に対して色々な人がしゃべっている.様々な視点を音声のまま見せる.(古参の客,その娘,店主など)
○アーカイブ調査
・火災保険地図.構造・素材が記述されている.
・写真:州がアーキテクチャ・インベントリーをしている
・マニュスクリプト・センサス:居住者の氏名や使用言語,エスニシティなどが追える.市が74年の保管後公開.
○環境音
・ドキュメンタリーの一部として使用.
・サウンド・スケープ:オーラルヒストリーで音について聞く.今の音も載せて比較.

■難点
・5週間で手法も含めてどのように教育として成立させるか.
-どういう風な進め方をすればいいのか.メンバー11人のうち5人がCADを使えないのは問題.
・コミュニティ・プロジェクト故の制約
-認識しているコミュニティにずれがある場合,どのように認識するか.
・語りをコンテクストから切断し編集することは妥当か.
・サウンド・スケープの妥当性

■質疑

山口:様式は読まないという話だが,建築とコミュニティを結びつけるという話で,点を文として読む手法はあるのか.

中村:大きなコミュニティ層の中で4つのグループに分けて探り探りやっていっている.

山口:ヒアリングの仕方は.サンプリングの仕方はどうか.

中村:コミュニティとのかかわりについて聞いていく.アポイントメントを取ったところを聞いていく.

羽藤:交通センサスとかだと抽出率が出せる.ヒアリングの最中に思わぬコミュニティのずれが出てくると面白くて,そこを意識したサンプリングできるといいが.

中村:基本的にはスノーボールで紹介してもらったり,店舗に取材したり.予備調査が足りていない.

羽藤:この調査はコミュニティの調査なのかネイバーフッドの調査なのか.

中村:ネイバーフッドの調査.ネイバーフッドはフィジカルなもので,コミュニティはその中の日とのかかわりなど.

三宅:この中でのバナキュラー建築とは.

中村:歴史学の根本的な問題.過去をいつから過去とするか.1800年代はけっこう古い.何もかも残そうというメンタリティがアメリカにはある.

三宅:この中でバナキュラーであるという意味は?

中村:こういう様式だから,こういう建築があるという話ではなく,ネイバーフッドだからというサンプリングの仕方.何を見ているか.人かものか.何でもバナキュラー建築と言える.東大のバナキュラー建築とか.

羽藤:時間軸の中で色々なプロセスを経て今に至るというプロセスを大事にして,コミュニティに結び付けていく.

浦田:ネイバーフッドを4つに分けた時点で何を調査するかというのは決まっていたのか.アプローチの仕方を試したのか.

中村:大体決まっていた.5週間ではできないので教授が選んでいた.ネイバーフッドの分け方には予備調査が必要.

羽藤:復興デザイン研究体のようなものだと,実務ベースで進めていく.研究として進めていくとしたらどういうやり方があるか.

中村:最終的に設計に持っていくという考えがない.

國分:どういう資料があるかとか,そういうセグメントの仕方がある.単体の住宅を調べてネイバーフッドを抽出するためには,周辺の様々な要素に触れる必要があるが最終的にどういうセグメンテーションができたか.またマイクロな観点での調査には限界がある.どうすればいいか.

中村:最終的に従者の住居のタイプで3つにドキュメンテーションできる.掘り下げないと分からないのでディテールに関して言う.

國分:マイクロな視点にはオリジナルのビジョンが必要.どういうビジョンがあげられるのか.

中村:サブテーマとして,ケアする人とされる人のようなテーマはあった.そういう人の視点を導入するという話がある.

伊藤:体系化が難しいという話だが,色々データ化している.カタログ化を行う際にラベル化したと思うが,どのような捉え方をしたのか.

中村:カタログ化では,ふぁせっと分析であらかじめ決められた分け方に従って切っているので,繰り返し細かく切っていく必要はある.今は大まかな分類しかしていない.サウンドスケープは分類する気がない.

斉藤:バナキュラー建築史で人の生活や変化をとらえるときに,価値観の変化とかその土地固有の変化とかがあると思うが,形だけの変化を追うのか.

中村:もっと大きなスケールでの再解釈が必要.ここではデータを取って終了だが,メソッドという講座でこうしたデータを再解釈するといった話が出てくる.

斉藤:長期的に考えたときに,個人を追うのか,集団にフォーカスするのかは個人次第なのか.
中村:個人次第.

斉藤:オーラルヒストリーの話が出ているが,言語そのものを取り扱う研究者との交流はあるのか.

中村:ないが,あるべきだと考えている.

羽藤:言語分析者によってこうしたデータを解析して出てくるものがあると面白い.変量は様々で,街区一つのコンテクストが変わるという話は数量の話なので面白いと思った.

山口:分析はともかくとりあえずアプローチとしてあるのかなというイメージ.

中村:その通りだがデータが遊んでいるイメージがある.求め方も考えなければ.

山口:歴史は1つの切り口しか出てこない.こうしたオーラルヒストリー的な話を歴史として再定義するのはかっこいい.

中村:工学ではないので,社会的貢献は目的のトップに来ていない.それはいいところであり悪いところでもある.

羽藤:工学に限らず,色々間口を広げるのはデザインとかの話に関わってくるので大事.

山口:何でもバナキュラーになるのと同様に何でも正解になるというのでは困る.

羽藤:コミュニティの調査とかしている人はここまでやらないが,やるべきだろうか.

三宅:研究としてやるときに目的を置いてからやる.それだと限定されてきてまうのでとりあえず収集するという話は大事.

羽藤:復興に関わる人には関係あるが,硬度のある話を積み上げていかないと,何となくという話になってしまう.