●梶原 悠(東京大学):アフリカ都市におけるインフォーマルな空間マネジメントの実態
■研究の背景
○アフリカ都市の特徴
規模ではなくスピードにある。現在4億人の都市人口があるが、2050年には12億人になるといわれている。
アフリカでは国際的にもスラム人口比率が多く、インフォーマル市街地に居住している人が多い。北アフリカを除くサブサハラアフリカでは都市人口の70%がインフォーマル市街地に住んでいるといわれている。
○インフォーマル市街地とは
様々な定義があるが、簡単に言うと都市計画制度に基づいたフォーマルに形成された市街地ではない市街地。具体的には、土地の所有権や開発許可を取得せずに違法につくられた都市。
○インフォーマル市街地に関する議論
議論が変容してきている。
1950、1960年代には「都市の癌」と呼ばれていた。
1970年代から、インフォーマル市街地という言葉が使われるようになり、問題というよりは解決策であるとみなされるようになった。研究や政策では、インフォーマル市街地をいかにフォーマル化するか考えられるようになった。
最近では、インフォーマル市街地がフォーマルな都市と同等に正当であるのではないかといわれている。インフォーマル市街地をどう理解するか再概念化の試みがみられる。
インフォーマル市街地は多様。
■研究の目的と枠組み
○研究目的
アフリカ都市におけるインフォーマルな空間マネジメントの 実態を解明し、都市計画における意義を検討する。
空間マネジメントとは、土地の管理(土地の分割、住宅の建設)、公共空間の利用が 計画、実行、評価、改善、合意形成される体系と定義する。
○分析の枠組み
アフリカにおいて3つの空間マネジメントを考える。
・フォーマルな空間マネジメント:都市計画に基づく行政主体の空間マネジメント
・擬似慣習的な空間マネジメント:慣習的な空間マネジメントをベースとする。
・擬似フォーマルな空間マネジメント:フォーマルな空間マネジメントをベースとする。
擬似慣習的な空間マネジメントと擬似フォーマルな空間マネジメントの二つがアフリカにおけるインフォーマルな主要な形をなし、フォーマルな空間マネジメントの代替機能を担っているのか、またどのような限界があるのかを検討することで、これら3つの空間マネジメントが共存し、互いに補完する形での都市計画のあり方を提示できると考える。
■対象調査地について
○対象地
2つの対照的な都市を選定。
ルサカ:擬似慣習的な空間マネジメントによる市街地形成
ナイロビ:擬似フォーマルな空間マネジメントによる市街地形成
○インフォーマル市街地の空間的特質
ヴァナキュラーな住宅配置と計画的な住宅配置を色分け。
ルサカ:擬似慣習的な空間マネジメントが依然大きな役割を果たしているのではないか? ナイロビ:擬似フォーマルな空間マネジメントが主流となっているのではないか?
■事例1
○ルサカの事例(擬似慣習的な空間マネジメント)
実際に擬似慣習的な空間マネジメントが行われているのか。
どのような長所短所があるのか。
土地権利のフォーマル化がされるときに、空間マネジメントにどのような影響が考えられるか。
○2つの調査地区
チャイサ:土地権利のフォーマル化が行われている地区
チャザンガ:フォーマル化されておらず伝統的土地の配分方法
両地区ともゆるやかな住民組織が形成されている。
○居住者属性
ほとんどの建物が賃貸経営。土地所有者自身もそこに住む。
土地所有者世帯が3割、借家人世帯が7割程度。
チャイサ:敷地がほぼ維持。登記手続きは自治体。
チャザンガ:最初に土地取得した人から細分化して売却。村長を通して登記手続き。
土地の取引はほぼ売買。かつては口頭、現在は書面契約が一般的。証人を置く。
○土地所有
チャイサ:土地所有を保護する権威は共同体の内部権威から外部権威 (フォーマルな権威)へと移行しつつある。
チャザンガ:共同体内の多様な権威が擬似的な権利証を発行することで土地所有者の権利を保護しており、共同体的な土地管理が行なわれていると言える。
○外部空間の利用
チャイサ:土地の排他的利用により、通行路は限られ他人の敷地内には入らないようにする。
チャザンガ:物理的境界はほぼなく、通行路が存在し日常的な出あいの場がある。
○小括
•ルサカのインフォーマル市街地では、共同体的規制が働くことで全体と個人の利益の調和が図られ、空間的秩序が維持されるとともに、地域のコミュニティが形成されている。
•共同体的規制とは? 一般に土地所有者は近代的な私的所有観念と、お互い様の感覚を合わせ持っており、これが共同体的規制として機能していると考えられる。これがルサカにおける擬似慣習的な空間マネジメントの本質なのではないか。
•私的土地所有権が付与されることで、共同体的規制が脆弱化し、コミュニティの崩壊が進むことが明らかになった。
■事例2
○ナイロビの事例(擬似フォーマルな空間マネジメント)
擬似フォーマルな空間マネジメントが実際に行われているのか。
その強みと弱みは何か。
○現地調査の様子
5か月かんスラムに住んで調査。実感を得ることに加え、住民の内密な情報を得、住民からの信頼を得るため。
ある家族と一緒に暮らしていたが、1か月後に一人部屋を借りた。
不動産管理業者に家賃などの管理が任されている。月1500円くらいで住める。
インフォーマル市街地でベッドを設え、20リットルの貯水ようの缶、電気、貴重品箱などを購入した。
1つのプロットには10~15人くらいが住み、公共スペースはみんなできれいにする意識があった。子供たちをみんなで見守るという状況。
プロット内のまとまりはあるが、家の外はごみ溜め場になり汚い。誰も掃除せず、管理意識がない。
○3つの調査地区
ナイロビのインフォーマル市街地においては、中央政府直轄のチーフと住民管理組織により管理される。
サイザル:各プロットによってサイズが違い、ヴァナキュラーな建築。
ジュアカリ:区画整理済。
MCC:区画整理済。7階建ての高層住宅が建つ。
○居住者属性
ほぼ100%の建物が賃貸経営。土地所有者は他の場所に住む。
借家人世帯が98%以上いると考えられる。
公共空間の利用については、近隣の公園は形成されず、広い道路が公共スペースや商業に使われ賑わいを形成している。住民間の横のつながりは希薄である一方、共同体は形成されている。
○空間マネジメント
サイザル:形成当初、勝手に人が来て土地を所有。80年代は中央政府の管理下におかれ組織で土地が管理される。賃貸経営がはじまる。土地所有者が建築する場合は村委員会を通す。
火災の延焼被害防止、水たまりの防止。
ジュアカリ:土地分譲委員会がインフォーマルな民間デベロッパーが不正に土地を購入。賃貸経営。土地が完売すると、委員会は逃げて村の管理委員会が管理するようになるが、あまり機能していない。
MCC:インフォーマルな土地購入組合が分譲を行い、賃貸経営。土地が完売すると、委員会は逃げてしまう。村委員会が管理するが、村委員会事態も形骸化。
○小括
・ナイロビのインフォーマル市街地では、かつては擬似慣習的な空間マネジメントが行われていたが、最近ではインフォーマルな民間デベロッパーによって利益追求的に擬似フォーマルな空間マネジメントが主流となっている。
・擬似フォーマルな空間マネジメントによって、フォーマルな市街地に似た住宅配置や道路構造を有するようになり、居住環境改善や土地権利のフォーマル化を行う上では好都合な市街地が形成されるようになっている。
・しかし、住民も民間デベロッパーも公共空間の維持・管理には無関心。市街地全体としては劣悪な住環境。
■研究のまとめ
○まとめ
・ルサカ、ナイロビにおける空間マネジメントはそれぞれ擬似慣習的マネジメント、擬似フォーマルな空間マネジメントをベースとしつつも、どちらも様々な秩序規範を利用していることが明らかになった。
・両者の強み:住まいに対する基本的なニーズを満たしている点が強みである。土地や住宅に関する紛争を調停する機能もある。
・擬似慣習的な空間マネジメントの強み:共同体規制が機能することで、低密な空間的秩序が維持されるとともに、共同体としてのつながりが形成される。
・擬似フォーマルな空間マネジメントの強み:市街地形成にあたり区画整理されるので、
富裕層が住宅に投資するインセンティブとなっている。
・両者の弱み:上下水道などのインフラを整備できない。
・擬似慣習的な空間マネジメントの弱み:共同体の社会的関係性が重要な役割を果たすが、私的土地所有権が付与されることで容易に崩れる。また、外からの投資がないために、居住環境を改善する上での元手がない。
・擬似フォーマルな空間マネジメントの弱み:公共空間の維持・管理は民間デベロッパーにとって直接的な利益に繋がりにくいため、投資のインセンティブを有しにくい。住民の大半が借家人であるため、地域の居住環境に無関心である。共同体としてのつながりが希薄である。
■質疑
中村:ナイロビの土地購入委員会は具体的にどういう人?階層的に。
梶原:逃げるので素性ははっきりしないが、おそらく裕福な富裕層で政治的コネクションを有している。選挙前に住民組織をつくりキャンペーンを行う代わりに土地を取得している。
中村:あんまりよく分かっていない感じ。
梶原:そうですね。
中村:どういう人が研究している分野なんですか?世界銀行の人?人類学者?
羽藤:リサーチのバックグランドが違う人がいるので、そもそもアフリカ研究がどういう基盤の上に成り立っているのか?
梶原:都市計画分野でもあるが、一番多いのは経済開発分野。しかし、経済開発分野はインフラに焦点が当てられ人類学的視点は実はまだあまりない。
中村:現地に住んで、イリーガルなことに対して質問する。アメリカの場合は、IRBとかが研究倫理の関係で通らなそうな感じがした。イリーガルなことを聞く場合、リスクが高いとされ長くかかりそう。人類学者がやっていそうなテーマなのにわかっていないことが多いなあと感じていた。プロセスが大変そう。リスクが高いので、時間がかかりそう。
梶原:ルサカは政府が寛容な態度だが、ナイロビは強制撤去の政策でインフォーマルの存在はマスタープランではないことになっている。正規に、本当の研究の目的を提示すると通らないことがあるので、居住環境改善のための調査といって許可をとっている。
中村:住民が公共空間に無関心とあったが、住民の問題意識として、そもそもこのような居住環境を問題だと思っているのか?誰が問題だと思っているのか?こちら側、開発側の問題意識はあると思うが、実際に住んでいる人たちはどういう風に感じているのか。
梶原:住民のほとんどが借家人世帯で、仮の住まいだからどうでもいいということは感じる。一方、インフラへの改善意識は強い。水に関しては違法だが供給が足りているが、トイレなどの排水の問題は改善したいと思っている。ナイロビのインフォーマル市街地の居住環境改善プログラム支援でことごとく失敗してきたのは、土地所有者層と借家人の優先順位が違うということが妨げてきた。土地所有者は、土地の権利を認めてほしい一方、借家人は土地の権利が認められると家賃が高騰するのでやめてほしい、何らかの権利が欲しいと考えている。望む点が違うということが一番の問題。
中村:誰の問題なのか。オープンなクエスチョンだが、誰の問題を解こうとしている。この研究自体も、梶原さんの研究の位置づけとして。最終的にどうなればいいということはすごく難しく感じる。
梶原:住んでいる人のためという前提はありつつも、研究をしようとしたきっかけとしては、アフリカに行ったときになんて面白くない都市なんだと思った。フォーマルな市街地は宗主国の基準で作られており、いまだにそれが荒廃した状況で使われている。
調査でインフォーマル市街地に来た時に、住民の生活に根付いた空間がひろがっており、住んでいる人たちによって都市はつくっていけないかと感じ、そういう問題意識はいつもはじっこのほうに置いて持っている。都市計画のアフリカ的なあり方を探している。
中村:気にする気になれば妥協点を探っていくことは可能かもしれない。外から来る人が調査すると、慣習的な空間がいいじゃんとなるが、実際するとover romanticizationな可能性もありかなり難しいと感じる。Implementationをするときに、どう折り合いをつけるか。政策側の人とどう議論するのか。
?:学生のときにスラムのことをやっていたので興味深く聞いていた。3点伺いたい。
まず誰がどう評価するか。チャイサとチャザンガの違いで、住宅と公共空間の境界の質が違ったが、ヴァナキュラー研究はそういった現実を是認することを是認する形で評価することが多いと思いが、研究者としてどう評価されているか。
2点目。インフラの整備の必要性を言われていたが、1980年代インドネシアのプログラムでア下水道整備してコアハウジングをして住民のセルフビルドでやるというものがあったが、アフリカでもそのようなものがあるか?
羽藤:2つでいいですかね、とりあえず。
梶原:後者については、インドネシアとパキスタンのオランギのプロジェクト、住民が出資するのが今でも主流。ルサカは自分の労働という形で整備できるし、ナイロビは土地所有者の力でできるのではないかと考えている。
1つ目は難しいが、公共空間の利用について。ちょっと時間をいただいてもいいですか。
ジアン:インドの場合、大きなスラムがあり政府が強制的にフォーマル化するという事例があるがナイロビではどうか?
梶原:一部、キベラスラムという有名なスラムで行われている。しかし、フォーマル化の法的な根拠もないので基本的には行われていない。
ジアン:ガバナンスはどうか?インフォーマルのガバナンスは?たとえば、慣習的な場合はフォーマル化するかどうか?
井本:キベラでは、買い取って公有地にしてマンションをたて、住んでいた人に住んでもらうという風にしているが、上の中流層が入り、ジェントリフィケーションが起こり、スラムに住んでいた人は別のスラムに移るか、新しくスラムをつくるか繰り返している。それを政府もわかってやっているような状況。
有田:先週までナイロビで仕事をしていたが、スラムに住んでいる方は土地への帰属、執着意識は強いのか?テンポラルな住まいなのか?
梶原:土地の所有に関しては利益追求という発想。
有田:そこに住み続けたいと思っているか?
梶原:薄いように感じる。そこに愛着はなさそう。ルサカに関しては自分の場所、街という意識は高いが、ナイロビに関しては感じられない。
羽藤:都市化が急速に進んでいるので、基本的には農村ベースのコミュニティではなく、移り住んだ人たちの間でむかし習慣を擬態しているというようなことがある。
梶原:そうですね。完全に慣習的というよりは再構成したようなところがある。
●井本佐保里(東京大学):ケニアにおける学校空間の生成プロセスとその実践
ケニアで学校がどういうふうに作られているのかについて、農村部と比較しながら研究を進めている。
■ナイロビについて
◯ケニアについて
東アフリカ地域で赤道直下。
首都ナイロビもイギリスの植民地として作られた。イギリスが入ってくると鉄道がひかれ、ウガンダからの中継地点としてナイロビは発展した。
高層ビルも立っていて、たしかにつまらない。東京とそこまでかわらない。
一方でキベラスラム。中心から30分くらい歩くとある。
もともと栄えていたのはモンバサ。イスラム教。
田舎。車で3時間ナイロビから進むと農村部が広がっている。
◯都市と農村部の関係
州別の人口密度を見ると、急激にナイロビ人口が増えている。
人口構成をみると、男性の二十歳以上が田舎でさがりナイロビで増える。
学校を出ると大都市にでていくというライフサイクルが根付いている。
◯ケニア人にとってのナイロビ
都市を飼いならすという人類学者の方が書いた本がケニア研究者のバイブル。
キズングーニ。白人がもたらしたものの世界。ナイロビはイギリス人が作った世界なのでもともとの儀礼や慣習がなく、まがい物が許される都市という認識。
都市生活はそもそもサファリ。田舎の慣習がない。
「ナイロビは誰のものでもない。埋葬もされたくない。」(タクシー運転手)
死んだ後にどこに埋葬されるかを質問した。例えナイロビで生まれようと必ず田舎に墓を作る。死ぬ前には農村部で土地を買って、そこに埋葬する。ナイロビで埋葬は不名誉。
◯アフリカ都市の類型化
Aタイプ。モンバサなどの交易都市。
Bタイプ。植民地がつくった行政都市。鉱山都市。ナイロビ。キズングーニに繋がる。
◯ナイロビ
鉄道をひくために作られた。
アフリカ人はサーヴァントとして居住したのがはじまり。
植民地時代は人種によってエリアが決められていた。西はヨーロッパ。北はインド人。東にアフリカ人。
現在も一部引き継がれている。西側には郊外住宅地として高級マンションが立ち並ぶ。北もインド人が多い。
もともとの都市境界線上・フリンジ部にスラムが立地。
◯対象地
南東部にあるムクルスラムを対象地にしている。
ほとんどが賃貸住宅。3m×3m。家の広さで家賃を比較する必要がないというのが便利。
トイレや床板で家賃が決まる。
向かい合わせになっていて、共同住宅の入口を閉じると安全。
3m×3mなので家具の配置も住戸間でほとんど一緒。リビングにテーブル、ベッドあとは調理器具。
◯家族構成
13世帯に話を聞いた。全員が農村部から移住してきている。繰り返す。
7割の人がムクルスラムで仕事。フォーマル市街地で仕事をできる人は少ない。
ムクル生まれの住民。極めて珍しい。
スラムで牛を飼う人。父親から土地を譲り受けて牛乳を売っている。
出稼ぎで商店を営む人。道に面して商業空間があり、奥で住んでいる。
手前に露店を出して生計を立てている人もいる。
■ケニアの教育
◯教育の歴史
ケニアに限らないが、学校という隔離した場所は必要ない。
家庭と故郷が学校。施設としての学校はない。
はじめて学校という空間ができたのは1846年。キリスト宣教師がモンバサにたてた。
白人の責務としての学校設立。
1911年以降、植民地政府が支援する形で公立小学校建設が進んだ。
エリートを輩出する機関として役割を果たし、地域に受け入れられていった。
1920年ごろ。インディペンデントスクール。自分たちらしい学校。
植民地政府が補助金を出して取り込んでいってしまう経緯も見られた。
1963年。独立を果たしたあと。
ハランベー哲学。自助努力によって学校や公共施設を設立。
行政はある程度形になったあとに容認。整備にはお金を出さない。
◯伝統的な相互扶助の文化
インディペンデントスクール。Communal Work。という流れの中でHarambee。
地域(田舎)に残っているのはだいたい女の人だが、そういう人たちが教室を作っていく。珍しい光景ではない。
◯国際社会での位置づけ
世界人権宣言:全ての人は教育を受ける権利を有する。1948年。
2015年までに全ての子供が学校にアクセスできるように。
2003年。初等教育の無償化。就学率も92.7%になった。
アフリカの中だと優等生。だが、北東部(遊牧地)やナイロビ(スラム)ではまだまだ。
◯学校の実態
住宅と教室が面している。
ムクルの中には6校のフォーマルスクールと70-80のノンフォーマルスクール。
フォーマルスクールは公立学校。教育長の認可を受けている。学費はタダ。
ノンフォーマルスクールは個人が勝手に始める。社会開発省が認可。
2000年代に急激に増えた。憲法改正によって教育(学校に子供を通わせること)が義務化したことが背景。
教育省+無償↔個人+学費あり。にもかかわらず、フォーマルスクールには高所得者。ノンフォーマルには低所得者。
スラム内でのコンペティション。Hidden Cost。何かしらのお金のやりとり。
KCPE。これはどっちの学校を出てももらえる。なので中学校に進める。
◯フォーマルスクール
広い敷地に校庭と教室。
スラムとは思えないような環境整備。
設備やサービスを見ていても、特別教室まである。日本の学校と同じく、敷地内でずっと教育を受けられる。
◯ノンフォーマルスクール
土地を違法所有/賃貸で2つにわけられる。
違法所有に関して。まず土地の所有者がいる(富裕層)。土地購入委員会がそれを購入してストラクチャーオーナーが得る。
その人がAssistant Chief(行政の人)にお金を払うと、承認が得られる。
それによってストラクチャーオーナーが建築を立てられる。
◯空間生成プロセス
27校中20校が移動しながら拡大している。
最初は大体一部屋のみ。子供が増えて学費が集まるとどんどん大きくなる。
最終的には土地を購入する。これがゴール。
鉄道の脇にある。撤去が計画されているので土地が安い。短くても元が取れるということで作っている。
◯低密なノンフォーマル
隅から立てる。端→端→間を埋める。境界線を証明しなくてはいけない。
隅っこをブロックして自分の土地を保持する。ランドグラビングを防ぐ知恵。
間違えて真ん中に立てたら実際に奪われている。結構シビアな問題。
◯過密な学校建設
まとまった土地をとることが難しいので分散型。
長屋型もある。
◯教室の構法
ほとんどがテンポラリーストラクチャー。
パーマネントストラクチャーは広い寸法だが、テンポラリーストラクチャーは住宅と同じ基準で作られる。
◯設備とサービス
ノンフォーマルスクールでは給食は40%未満。校庭・トイレは70%くらい。
どうしているのか?給食は昼に一度帰す。校庭は路地など使う。トイレは貸トイレ。月極契約。
自分たちで設備を整えるのは難しいが近隣を活用して補う。
◯小結
ノンフォーマルからフォーマルになるにつれて、地域から学校が独立し、制度化が進む。
逆にノンフォーマルの方が、学校と住宅に呼応性がある。
■使われかた:学校と近隣の関係
1.学校独自の敷地
2.近隣(登下校で子供が滞在)
3.地域(その周辺)
・フォーマルだと近隣という概念がない。
・給食がないパタン。昼食を食べに家に帰る。
・教室しかないパタン。近隣の関係性が大きい。
◯事例1
校庭が狭くて塀や柵がないと、近所の子と交わる。通路として一般の人から使われる。
学校は休み時間と放課後に校庭の掃除をするが、近隣の人が通る道を掃除している。環境改善の1つのヒント。
◯事例2
分散型。アネックスのコンピュータ室。トイレ。
休み時間には100mくらい歩いてトイレに行く。下水を飛び越えていく。
途中の大通り。お店が散らばっている。
◯遊びの特徴・周辺との関わり
ゴム跳び石投げ。線状の遊び。店先のベンチで休むとか。校庭の中ではできないような活動。
おばさんが芋を揚げる。子どもたちにお昼を売る。子供を1つの顧客として活動する人たちがいる。
事故も起きている。お店の人たちが保護する。
◯関係性
家族(地域)と学校は関係が希薄。
子どもたちはほとんど昼食を近隣でとっている。目をやっているのも近隣。商売にも貢献。
■実践プロセス
スラムにある最低限の建て方。テンポラリーストラクチャー。
セレモニーをしたら、問題が起こった。土地の問題。
泥棒やトイレを埋めたりとか問題が起こっている。5feetはみ出す。
◯何が大変だったか
建材調達。物の値段を把握していないと倍くらいの値段をふっかけられる。
チーム内でも騙し合いがある。
デザインよりもお金の管理。プロジェクトを最後まで遂行するのが難しい。
外国人がやっていると嫉妬や確執が生まれて、土地の問題などが起こる。外部支援をめぐる課題。
何をしても大丈夫という文化がキズングーニの論理で起きている。
スラム内のプロジェクトは中断や撤退が当たり前の世界。
作ったあとを見ると敷地境界線が囲われてしまった。
◯まとめ
近隣との関係を構築する。
今後としては、身の丈にあった環境改善が重要。
自分たちでできる範囲で、あまり遠くへ行き過ぎないようにやる。そういう支援が重要。
===
■質疑
ジアン:
フォーマルとノンフォーマルの間には教育的格差がある。
しかし,フォーマルな場合は必ずしも地域利得にならない。
一方、ノンフォーマルスクールの場合は、連帯感が高くて、社会的資本が高まる。地域利得になる。
そういうことがあったか?最後の嫉妬の話とか聞くと違うような気もするが。
井本:
最後の話は外部支援の話。自然発生だったらコンフリクトは生まれない。
教育レベルでは、平均すればフォーマルのが高いが、学校によってはノンフォーマルスクールの方が高いということがある。
学力という意味では必ずしもフォーマルがいいというわけではない。ただ、フォーマルは給食をはじめ、体育や音楽もある。
ノンフォーマルは点数を高くするため、というようにもなっている。
地域の利得という視点でいえば、完成させないで、一部地域に委ねるということをあえて計画していくことは重要だと思っている。日本だと学校として完成していて地域交流といいがちだが、不足している部分でつながるというのもある。
ジアン:
就学率92.7%。非常に高い。何割がフォーマル?
井本:
フォーマルの数値。ノンフォーマルは行政は認識できていない。
ジアン:
多民族な国。民族別で教育へのアクセスが変わったりするのか?
コミュニティが強ければ強いほど外からアクセスしにくい。
井本:
宗教では分かれている。キリスト教がほとんどだが、イスラム教はイスラム教でまとまるとか。
民族の連帯感はあるとは思うが、阻害しあうということはない。ムクルでは。
Question:
ノンフォーマルスクールが転居すると中にいる子は変わるのか?
井本:
基本的には増えていきながら近くで引っ越す。
関わったプロジェクトはすごく離れている場所への移転。でも、半分くらいの子供はついてきた。
オーナー自体も引っ越した。
中村:
すごく離れているというのはどれくらい?
井本:
500-600m。
羽藤:
圏域がすごく狭い。重なっている。
大山:
低密な学校の作り方。端から埋めていくとあった。必要なものから順に配置すると、普通ではない配置関係がでてきたりすると思うが、そのことで生まれる建築計画的な面白さはあったか?
高密の方。分散して都市の中に配置することで、周辺空間の使われ方・土地利用が変わる。どういうときにどういう変わり方をするという発見があったら教えてほしい。
井本:
基本的に学校が持っている機能は教室だけ。重要な機能を作って、オフィスつくってという順番。
分散の方は、お店をやっている人が置くものを変える。文房具とか遊具とか。
学校の近くに露店ができたりもする。
Question:
学校の機能があることで、ノンフォーマルスクールの学費に差がでたりするか?
それがあったら、作る側のインセンティブになったりするのでは?
井本:
3つめの事例は何でもあるけど学費が一番安い。
何か足りなくても学費が高かったりする。これは、テストの点数、学力のたかさが全てを決めているんじゃないかと思う。
中村:
ノンフォーマルスクールはどういう属性の人が作っているのか。あとはテストの点というのはどういう意味があるか?
井本:
大きく分けると個人か教会団体か。地域の中でそういう組織を作っていて、勝手に牧師を名乗る人がいる。
学校の先生も同じで、許可を得ていない人がほとんど。
最初は3歳の子をなん人か集めるとかそういうところからはじめて、それとともに成長して小学校とかになっていく。
あとから免許をとる人もいるが、何ももっていないままの人がほとんど。
後半の質問。いい中学校にはいれる。
羽藤:
いい中学校に入ったあとは?学歴をつむというのが地域の中でどういう認識のされ方をしているのか?
井本:
日本以上の学歴社会。KCPEの点数が出ると新聞で順位が発表される。学校単位、個人単位。
中村:
教育を重視する文化というのがもとからあるのか。植民地時代の影響?
井本:
途上国に共通している。上に行くためには学歴を詰む。それしか道がないというのが教育熱につながっている。
坂田:
オーソライズと近隣との関係が相反する関係にあるように思う.
日本もインフォーマルな学校の立地があったが、戦後にそれが淘汰されていった。
近隣との関係が豊かな学校のあり方に可能性を感じている。インフォーマルな学校をフォーマルへの過程ではなく、制度的にもその有用性を認識させる努力をしないと、相反する関係がそのままでどちらかが犠牲になってしまう。
そこへの展望をお聞きしたい。
井本:
オーソライズ化というのは制度化とは違う意味を込めてあえて使っている。
フォーマルスクールになっているのは制度化。そうではなく、ノンフォーマルスクールとして認知される。
環境として近隣との関係を保ちながら、行政の中でも認識されるようになってほしいと思っている。
校庭があってトイレがあってそうしろというわけではない。
坂田:
しかし政策とは対立することになるので、どういう人を味方につけるのか。作戦が必要。
羽藤:
オーソライズ化がどういうアウトプットにつながるのかを明示的に示せれば、戦略の意味が訴えられる。
坂田:
ぼくらのプロジェクトも上の人はわかってもらっても下の人がわかんないと動かせない。
羽藤:
そういう意味ではオーソライズ化というのは深い意味。
みんなが状況を認知しうるところまでもっていく。
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3.討議(発言者敬称略)
羽藤:
こういう企画をしたのは、
現場でものごとを考えるというのは、アフリカであれインドであれ、復興であったも同じような問題がある。
地域デザイン研究室では小高。誰のために何をやればいいのか。どこの地域でも同じような問題がある.
そういう中で,何が本当の都市計画の基盤なのか.
梶原さんは土地の仕組み.慣習.井本さんの方は近隣という概念とか,キズングーニといった慣習の違い.
我々はらしさを大切にするまちづくりということを習ってきたものの,何がらしさなのか.空間すら基盤じゃないんじゃないか.
一方でNEIGHBORHOODというものがあるかもしれないし,空気のようなものかもしれない.
社会として何を目指して,何を一番大事にしてやっているのか.
その基盤というのが日本の都市に対して普遍的なものになるのか.あるいは差異が可能性を生むのか?
井本:
都市計画として何が大事かということはまだ考えていなかった.
外部から入って調査をするときに,こっちが思っている学校とのギャップがある.
単に劣っているとか足りないという判断を世銀などの人はしがちだが,そこには必ず理由や文化・メンタリティがある.
すべてのことは合理性の上に成り立っているというのが信念で,それを探すと見つかる.原理がある.そこに気をつけている.
羽藤:
基盤というか,因果・構造・アーキテクチャというのがどこにでもあって,それを引っ張りだすというが大事ということか.
梶原:
調査をする上で気をつけているのは,基本的にインタビューをベースにしているが,表面的に答えてもらうだけでは彼らの本当に考えていることは出てこない.
彼ら自身もテレビやネットから近代的・外国の思想に影響を受けている.外からの情報をそのまま返してくることも多い.
本当にどう都市に向き合って暮らしているのかは,かなり対話を重ねないと見えてこない.対話の中でお互い何を大切にしていこうと思っているかを見つけることが大事.
羽藤:
フィールドワークを行なう研究者としての姿勢が基本ということか.
羽藤:
2つ目.研究者の倫理のようなもの.社会学やフィールドワーク・開発援助では何かしら倫理観がある.
普遍的なもの,あるいは,日本人だから見いだせること,できていることはあるのか??
ODAのときにもカンボジアの援助とか,日本人にしかできないやり方がある.
一方でインフラ援助では競争的なところに入ってしまうとかある.援助の種類によっても違うと思うが.
井本:
ケニア人じゃない,ということでいうと,
ケニア人になんでこうなっているのかと聞いても,向こうの人は当たり前と思っていることについてはわからない.
外から見るとなんでだろうということがあって,そこを突き詰めると合理性やらしさが見えてくる.そういう意味で外からアプローチする意味がある.
日本人らしさ.
欧米よりもソフト面にアプローチするというのが国際協力で一般的に言われる.
学校建設でも,お金を渡すだけでは見えない課題があり,そこに通いつめて一緒にやっていく行動をとることが重要で,日本人的特質だと思っている.
羽藤:
変わらないでそういうやり方がとり続けられるのか,あるいは変わるべきと思っているのか?
井本:
欧米的なやり方をやっても結果的に無駄だと思っている.
支援する側も大変だが,一緒にやらないと現地にとって意味がない.
梶原:
ヨーロッパとの比較.
都市計画の観点で言えば,ヨーロッパは近代都市計画.日本は事実上スラムみたいなところがある.住民によるまちづくりも見られる.そういう意味ではアフリカ的状況と比較的日本は似ている.
また,日本人は向こうの文化に敬意を払って接することのできる文化がある.そういうところを生かして支援できたら.
あとは,アフリカのコミュニティのありかたや土地所有の観念みたいなところはかなり違う.そういう差異をいかせれば面白い.
ジアン:
現象を探る中で,自分の求めている結果とホスト国の期待がかなり違うこともある.そういう問題にどう対処するか?
梶原:
そういう実践の経験は無いが,キベラのフォーマル化の事例なんかは,住民もきちっとしたマンションを望むだろうし,現実的方法を探るというのがやり方.
中村:
計画論とかインプリというと,倫理的にどうあるべきかというのが難しい.
一方で,欧米的な都市計画に対して嫌悪感を持っている人はたくさんいる.外部から人が来ること自体に対しても.
私自身としては,無関心とか,学校のあり方が面白く見えるということをはっきり言う.それを伝えることが大事.
政府側の人にももちろんだが,最終的には地元の人がエンパワーしていかないといけない.
井本:
学校はトイレなくてもこういうふうにできるといっても,それはバカにしていると思われたりする.
伝え方は難しいが,そういうことは言っていきたい.
ただ,現実と理想の差は大きい.提案はし続けていきたい.
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