U30都市計画-都市設計提案競技2014
夏の学校を終えて
7月26日に東京大学で行われた課題説明会から、9月19、20日に道後で行われた最終審査会まで、熱心に取り組んできた参加者たちをみて、審査員の先生方より感想をいただきました。
夏の学校を終えて
内藤廣
力の入ったプレゼンテーションに驚きました。内容も密度の濃いものでした。道後という触媒を通して、若者のエネルギーが引き出されたのだと思います。それだけ、道後という場所が持っているポテンシャルが高いということです。短期間でこれだけの成果をまとめ上げたこと、まずはみなさんの健闘を讃えたいと思います。
一方で、道後には目に見えない危機が迫りつつあるとも思っています。これまでと投下されたエネルギーが蕩尽されつつあります。なんとなく街から感じられる力がない。それがあぶり出されたかどうか、それに肉薄できたかどうかには疑問が残ります。
全体的には、さまざまな視点提供があって面白かった。しかし、よく考えてみれば、それこそが問題です。われわれに「面白かった」なんて言わせちゃいけない。それは、それだけのことだ、と言われているに等しいからです。
街は、みなさんが考えるよりはるかに辛辣でリアルでえげつない欲望に裏打ちされた存在です。その意味で、街はそこに住む人間存在そのものと同じ姿形をしているのです。道後の街は、道後の人たちが創り出したものであり、道後の人たちの欲望がそのまま姿形になったものです。実感としては、そういう切なさや情けなさややるせなさを愛せないと街造りは出来ないでしょう。
今回ぐらいのレベルをクリアできる諸君なら、次はその辺りを加味すると、われわれに「面白かった」なんて言わせないような凄みと説得力が出て来るのではないかと思いました。
夏の学校を終えて
青木淳
「風景づくり夏の学校」に参加して改めて感じたのは、建築的構想、都市計画的構想、土木的構想の3つの構想が、根っこの部分を共有していること、したがって、風景をつくっていこうとする場合、それらの間に本質的な差はなく相互に横断できる領域だ、ということでした。と同時に、もし3分野を総合した領域の存在を前提とするなら、それでも経営(あるいは経済)的側面と政治的側面がカバーされていないということ、また、建築の分野がとりあえず関心を払わざるをえないのはデザインという側面であるということに気づかざるをえませんでした。後者についてはさらに、建築だけでなく都市計画や土木も共通して「造形」(数ある可能性のなかから、ひとつのあり方を選ぶこと)に関わっているのにもかかわらず、それらを通底するような、造形論=デザイン論が存在していないわけで、自分も含めてのことですが、建築をバックグラウンドに持っている人たちは、そういう意味での造形論=デザイン論を少しずつでも意識的に築いていかねば、と思った次第です。
夏の学校を終えて
後藤春彦
夏の暑い日に行われた東京大学におけるコンペの出題の際に、羽藤先生が講義されたように、かつてオリンピックの芸術競技として「都市設計」があった。どのような審査をしていたのか不勉強だが、成績は審査によって決定されたのは自明である。
実は、今回の「風景づくり夏の学校 U30都市計画-都市設計提案競技 2014」の審査でも、作品の評価が多いに分かれた。
ひとつは、道後温泉本館を大切に扱って、明日からでもできるような小さな取り組みに物語を重ねていきつつ本館の改修をイベント化しようというもの。もうひとつは、道後温泉本館を一度否定してみる事からはじめることをこころみて、大胆不敵に、本館を他所へ移築保存しようというものだった。前提条件が異なるためこの二者は比べようもない。すなわち、競技にならないものだった。ただ、共通するのは、どちらも優しい良い子の設計だということ。前者は,セルフィッシュな温泉地ならではの商売人気質に火を灯した連鎖的展開がイメージできるような戦略性が欲しかった。後者は、本館の跡地にどれだけの経済的ポテンシャルがあるのか、そしてそれをどのように利用すれば、道後温泉として、松山市として将来的にペイするのかを示して欲しかった。
いずれにせよ、ルールがはっきりしていないから審査はぶれるのであり、競技になっていなかった。これは、今後の羽藤先生の課題なんじゃないかな(笑)。
しかし、日本の都市デザインを育てる登竜門として、ぜひ、今後も続けていって欲しいと思う。もちろん、僕もお手伝いはいとわない。
夏の学校を終えて
窪田亜矢
夏は力をつけられる季節だ。日常から離れて、自分が渇望していた力の獲得に向けて集中できる(感じがする)特別な季節だ。
今年の「風景づくり夏の学校」での私の任務は、計画設計提案競技の審査と、9月19日に道後で講演を行うことだった。与えられた講演の題目は『地域デザインの展開』だ。
そこで地域/地域デザインを以下の三点から考えてみた。
一つ目は、「地域」という言葉からの展開だった。「地域」は、非常に多様な文脈で頻度高く日常的に登場するが、明確な意味の定義を欠いたまま、空間に関連する重要な概念を指し示す便利な言葉として使われている。だからこそ新しい価値を構想できる可能性がある。
二つ目は、地理学をはじめとする多/他分野も含めて、地域にこだわってきた先人達の知見を整理した。地域とは、暮らしの場として機能するという人間の根源的な価値が期待されている「ところ」=空間的・時間的な概念だといえるだろう。
三つ目は、これまで自分達が関わった地域において考えて実践してきた無数の具体的な事柄を、俯瞰的にみて抽象化し論理もしくは態度として構築することだ。それは、今回の提案に限らず、全ての地域デザインに強度を還元できるはずだ。
夏の学校を終えて
藤田香織
夏の学校を終えて
山口敬太
今年の風景づくり夏の学校、錚錚たる講師陣による講義はどれも刺激的であり、コンペ参加者の提案のレベルの高さにも驚いた。最後の講評会は終わるのが惜しかったほどだった。さて、ふりかえれば、自身の講演で与えられたお題は「地域デザインを読み解く」であった。最初は地域デザインの実践事例をいくつか挙げ、その勘所を話そうかと思った。しかし、道後の歴史を調べていくなかで、道後の成り立ちやまちづくりの歴史が、「資源利用システム」のデザイン史として読み解けることに気づき、これを丁寧に拾い上げることこそが、今後の地域デザインのための創造的な視点となり得ると考えた。その試みが成功しているかどうかはともかく、自分にとって重要な「新たな視点」を得られたことは大きな収穫だった。加えて、選考で評が割れたことが証左であるが、講評会では選考委員の方々の深く様様な視点から気付かされることが多く、自身の見方の幅も広がったように感じた。
僕は夏の学校の卒業生でもある(初参加は2007年)。今もこうして関わらせてもらえるのは存外の喜びだが、当時は全く想像出来なかった。人生何が起きるか分からない。若く可能性のある皆さんのこれからの活躍に大いに期待したい。